昔の暮しの手帖を読み返していたら佐藤雅彦のコラムが目にとまった。「考えの整とん」という連載の第1回。骨子はこんな感じ。
小学校の父兄参観の時に、答えがわからず父兄の前で恥をかくから、授業中「わかった人は?」と手を挙げさせるのをやめてほしい、という生徒がいた。しかし、先生は生徒にこう提案する。「問題がわかった人はパー、わからない人はグーで手を挙げよう。」そうすればみんな手を挙げるし、わからない生徒にあたって惨めな思いをすることもない。
その日の授業は父兄も驚くほど元気いっぱいの授業が展開された。普段は斜に構えている不良風の生徒も元気に手を挙げていた。
そこにあるのは「たくらみ」の共有。わくわくするような「たくらみ」を示し合わせること。してやったり感。文化祭前的な熱狂にも通じている気も。
面白いのは「たくらみ」の中にいる生徒も、そして、それを見ている側の父兄も楽しんでいる(であろう)ということだと思う。部外者を排除してしまうような「たくらみ」ではない。外にいる人も楽しめる「たくらみ」を設計する、という考え方は、例えば、曲を作る音楽集団や商品/サービスを提供する会社など、何かを作り出すあらゆる現場でヒントになるような気がする。
- 出版社/メーカー: 暮しの手帖社
- 発売日: 2007/01/25
- メディア: 雑誌
- クリック: 5回
- この商品を含むブログ (22件) を見る
この「考えの整とん」という連載、毎回おもしろいです。書籍化に期待。