市場の倫理と統治の倫理

最近、読んでおもしろかった本。

市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)

市場の倫理 統治の倫理 (日経ビジネス人文庫)

タイトルが示す、本書の主題を要約するとこんな感じ。

人間がその必要とするものを入手するには、縄張りから取得する (take) か、またはお互いに取引する (trade) しかなく、前者は他の動物と同じ生活だが、後者は人間だけが行なう行動である。人間の生活にこの2つの様式があることに対応して、人間の社会的道徳にも統治の倫理 (たとえば忠実) と市場の倫理 (たとえば誠実) の2つがあり、両者はしばしば相互に矛盾し対立する。そして、この2つの倫理を混同すると、混乱が生まれ、時に不正や停滞、システム的腐敗が生ずる。

ここでいっている2つの倫理感をリスト化したものがこれ。

A型倫理 (市場の倫理) 

暴力を締め出せ
自発的に合意せよ
正直たれ
他人や外国人とも気安く協力せよ
競争せよ
契約尊重
創意工夫の発揮
新奇・発明を取り入れよ
効率を高めよ
快適と利便さの向上
目的のために異説を唱えよ
生産的目的に投資せよ
勤勉なれ
節倹たれ
楽観せよ

B型倫理 (統治の倫理) 占取

取引を避けよ
勇敢であれ
規律遵守
伝統堅持
位階尊重
忠実たれ
復讐せよ
目的のためには欺け
余暇を豊かに使え
見栄を張れ
気前よく施せ
排他的であれ
剛毅たれ
運命甘受
名誉を尊べ

このリストは著者が、世の中に出回っているあらゆる資料・文献から、人間として賞賛されている行為、名誉とされている行いを調べて、その特徴をまとめたものらしい。そうすると、お互いに矛盾しているものが含まれていた。これを矛盾ないかたちに分類すると2組の倫理観に分けることができた、とのこと。たしかに「正直たれ」と「目的のためには欺け」なんて正反対ですね。

一見すると「?」という道徳もある。たとえば「見栄を張れ」。ただこれも統治の倫理として、その威光を広く知らしめるためのパレードを指していたり、また裁判所や教会のような施設は神聖で荘厳な雰囲気があればあるほどよい、といった価値観によるものということなので、なんとなく理解できる。

本書の中では、これら1つ1つの道徳律の特徴が事例とともに詳細に紹介されています。さらに面白いのが、この本は6名ほどの多様なメンバーによる対話形式で進んでいくこと。これらの登場人物が定期的に集まって議論を進めていく、という形をとっていて飽きさせません。

環境が変わると「正しいこと」は変わる

「市場の倫理」と「統治の倫理」という2つの行動原理、倫理感が混用されると、混乱が生まれ停滞や腐敗が起こってしまう、というのは、あらゆる企業や集団の内部においても当てはまる。たとえば新たに事業を起こす、サービスを作るといった場合は、「市場の倫理」に基づき、創意工夫をもって異説を唱えて新しいものを作ることが正しいとされる。しかし、たとえば政府・独占企業のように「統治の倫理」に基づき、その領土を守り、維持することが良いとされるケースもある。どちらかいっぽうの倫理観のみで動く場合はよいが、これらを混ぜてしまうと混乱が生まれる。

大きくなってしまった企業が、それが故に社会に対して一定の責任を持たなければならなくなり、ガバナンスをきかせた結果、革新的なサービスを出したくても出せなくなってしまい、いわゆるイノベーションのジレンマに陥ってしまう、というのはよくある事例で容易に想像がつく。

ではどうすればよいのか

本書の中では、これを避けるには、

  • 統治者と商人を身分的に区別するカースト制を布く、か、課題に応じて統治の倫理、市場の倫理のいずれかを自覚的に選択する、の2つの方法しかない
  • 民主主義の下では身分制はとれず、自覚的倫理選択が必須となる

としている。しかし、自覚的倫理選択っていっても、それぞれの置かれている部署や立場や環境や考え方によって倫理観なんて左右されてブレてしまうからうまくいきませんよね。本書の中でも「どちらも長続きはしない」と言っている。

いつかのスティーブ・ジョブズのようにトップダウンですべてを動かしてしまうというのもある。でもトップじゃなきゃこの手は使えない。

どうすればよいのかぼんやり考えていたのですが、ハッカー文化が日本を救う - Nothing ventured, nothing gained. で紹介されている「許可を求めるな、謝罪せよ」というのが1つの手になるんじゃないかなと思った。

米ソフトウェア業界におけるリーン開発の第一人者で、アジャイル開発分野のリーダー的存在としても知られる米3Mのメアリー・ポッペンディーク氏は、「Agile Japan 2009」の講演の中で「許可を求めるな、謝罪せよ」という3Mの社是を引用しました。
 3Mの社是は、さらに続きます。
"It is easier to ask forgiveness than permission. With a sincere attitude toward one’s work, the chances of doing real damage or harm are small. Consequences from bad calls, in the long run, do not outweigh the time waiting to get everyone’s blessing."
『許可を求めることより許しを乞う(謝罪する)方が簡単である。ひたむきに仕事をすれば、深刻なダメージや危険にあう可能性は低い。間違った決定による時間が、長期的にみて、みんなの許可を得るために待つ時間を上回ることはない)』

http://japan.zdnet.com/development/analysis/35012875/

まぁエントリーで紹介されている文脈とは異なるのですが、倫理観の異なるものをすべて調整していたらつまらないものができてしまう。そんな調整をしている間に、失うものがない新興企業 (統治の倫理が薄い) のほうが革新的な製品、サービスが出せてしまう。これに対抗するためには、組織内のあらゆる倫理観をもつ人々すべての合意をとって進めるのではなくて、1つの倫理観に基づいて許可を求めずに実行する、というのが何かを変えるきっかけになるのだと思った。